エゴを克服する意味
- naoko-takemoto
- 2017年8月19日
- 読了時間: 4分
人間はどうしてエゴに、囚われて苦しんできたのか?
その答えを知るには、まずエゴに気づくことから始まります。
「変容の緊急性」について書かれたエックハルト・トール氏のご文章を引用いたします。
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自分の所有物に誇りをもったり、自分より豊かな人をうらやんだりするのは間違っているのか? そんなことはない。誇りや目立ちたいという思いや、「もっと多く」によって自己意識が強化され、「より少なく」によって自分が小さくなると感じるのは、善でも悪でもない。エゴだというだけである。エゴは悪ではない。ただの無意識だ。自分のなかのエゴを観察するとき、エゴの克服が始まる。エゴをあまり深刻に受け取らないほうがいい。自分のなかにエゴの行動を発見したら、微笑もう。ときには声を出して笑ってもいい。人間はどうしてこんなものに、これほど長くだまされ、囚われていたのか?
何よりも、エゴは個人ではないことに気づくべきだ。エゴはあなたではない。エゴを自分個人の問題だと考えるならば、それもまたエゴなのだ。
出典:

自分の富や、才能、若さ、美貌、地位、賞賛、知識が豊かさなどを誇りに思ったり、
反対にそれらを自分よりも多く持っている人に嫉妬したり、
自己卑下や自己憐憫(じこれんびん・・自分で自分をかわいそうに思ったり、あわれんだりすること)したり、
傲慢になったり、卑屈になったり、
自信過剰になったり、自信喪失したり……
人間は休むことなく、実に様々なことを考え続けています。
そして更に、このような自分の考えに対して
「あぁ、ダメだダメだ! こんなふうに自慢するなんてカッコ悪いし、自己主張し過ぎたらみんなに嫌われるよ」
「あぁ、ダメだダメだ! こんなふうに他人をうらやむなんて、自分は情けない奴だ」
「あぁ、ダメだダメだ! こんなふうに自分をさげすんでいないで、もっと前向きに生きなくてはダメなんだ」
などと、自分にダメ出しをしたり……
相手の態度や言動に対して文句をつけたり、恨んだり……
とにかく、心は忙しく思考し、不平、不満、不安、恐怖、愚痴、恨みつらみ、泣き言などを際限なく、時に激しい感情を伴って言い続けます。
そうやって考えの一つひとつに善悪の判断を下し、自分自身を非難し、悪い考えを発見すると前向きで明るい善い考えに改める……なんてことをやっていたら、どんどん自分を追い込んでしまいます。
しかし困ったことに、エゴの殻の中にいる間は、そうやって思考のなかで、ぐるぐると堂々巡りしていることに全く気づけないものなのです。
しかも、思考の中のネガティブな想いや感情をなくそうとしたり、変えようとしたり、自分を責めたりしていても、何も解決できません。
まず自分が思考に囚われていることに気づいて、自分の思考の外側から客観的に想いや感情を観察し始めると、思考が勝手にしゃべり続けていることがわかってきます。
「自分の価値を高める」ために必要な「固定観念」「過去への未練」「未来への不安」という執着で、自分をぐるぐる巻きにして、欠落を埋めるための行動に駆り立てているのは、誰でもなくエゴなのです。
エゴの殻を越えて外に出ると、「自分はただ在るだけで、愛し愛されているかけがえのない存在なのだ」という大いなる喜びが人間にはもともと内在していたことをかんじることができます。
そうすれば、「エゴの思考に執着することで自分の価値を高めようとする」必要がなくなるので、自分を縛っている想いを手放せるようになってゆきます。
それは、たとえゆっくりだとしても、確実に生きづらさから解放されてゆきます。
自分を苦しめているエゴから解放されたとき
「愛し愛されて生きることが、自然なことだった」
そして
「エゴに執着するのは無意味で、有害なことだ」
と気づけるのです。
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