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「自分がしあわせになることは、家族たちに対して、ずるいことだ」 という間違った思い込みを解放する
- naoko-takemoto
- 2018年5月16日
- 読了時間: 5分
子ども時代の親子関係が、「あなたばっかり、ずるいっ!」 と他人を悪者にする思考パターンを生み出す根本の原因になっていました。
今回は
の続編になります。
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『 自分が楽しむことに 罪悪感は いらない…と気づけた体験 』 の記事に書いた夫に対しての罪悪感よりも、もっと潜在的にいつも自分を縛っている思いがあったんです。
それは、「わたしばっかり自由に楽しんでしあわせでは、がんばっている母に悪い」 という子ども時代からの強い罪悪感でした。
さらに、中学一年のときに他界した祖母に対して反抗的だったこと、高校二年のときに他界した父に素直になれなかったことも、強い罪悪感になっていました。
子どものときに 「わたしがしあわせになることは、家族たちに対してずるいことだ」 という間違った思い込みをしたまま生きていたわけです。
「しあわせになりたい」 と思いながら、 「しあわせになってはいけない」 とブレーキを踏んでいるから、心のなかは沢山の葛藤でいつもいっぱいでした。
そんなふうに自分で自分をしあわせから遠ざけて、周りに嫉妬したり、ひがんだり、「ずるい」って思ったり……
相手からみたら、「そんなの知らんわ」ですよね……。
今になって振り返ってみても、「今ここでしあわせを感じること」 を自分にゆるさずに生きていたんですから、そりゃあ苦しいはずだわ……と思います。
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今回とりあげた 「ずるい」 というネガティブ思考にハマっていた根本の原因が子ども時代の親子関係にあったように、現在の問題が起こる原因をたどっていくと、やっぱりいつも、両親たち家族との関係にたどり着いてしまうんです。
アダルトチルドレン特有の心の問題は子ども時代の家族関係に起因しているからなんですね。
なので、現在の問題を解決するときにも、どうしても子ども時代にさかのぼらなくては、表層の部分しか変われないと思います。
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アダルトチルドレンが育った機能不全家庭の家族同士は、お互いの Being (存在そのものへの無条件の愛・尊厳)を見失っているから、共依存関係におちいりやすくなっています。
そのために、目に見える相対的な状況からだけで判断して、「相手が不幸せだ」 と勝手に決めつけるエゴの思考を真実だと思い込んでいたりします。
わたしの場合、父がアルコール依存で身体を壊して働けずに罪悪感を感じていたり、母がくたくたに疲れるまで働いても満足な収入が得られずに苦労しているのを見て、「父も母も不幸なんだ」 と勝手に思い込んでいました。
確かに、両親は心身ともに苦労していました。
けれども、真実は、エゴによる価値判断のなかにあるわけではなく、人間のほんとうしあわせは、一人ひとりのハートでお互いの存在そのもの(Being)に愛を感じるものだから、どんなに苦労していたとしても、無条件のしあわせを感じる瞬間は必ずあるのです。
もしも今は絶望的な状況だとしても、無条件の愛や平和や喜びが内面にある瞬間に、人間は無条件にしあわせなのです。
過去のネガティブな感情を解放していったとき、「子ども時代に、家族たちに無条件に愛されていたんだ」 とハートで感じられ、同時に 「家族たちにも、わたしを無条件に愛しているというかけがえのない喜びを感じる瞬間があった」 と感じられました。
だから、目に見える相対的世界での状況のなかでは、たとえ親の望み通りの子どもではないとしても、子どもの内面が愛と平和で充たされていてしあわせなことが、親にとってのしあわせなのだとわかりました。
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今でも、目に見える状況にまどわされて、「母を大切にできないようなダメな自分には、しあわせになる資格はない」 という思考に巻き込まれることがあります。
でも、これは、相対的世界の中でしか判断できないエゴの思考。
そのたびに、「母はほんとうは不幸せなんかじゃないし、わたしは今ここの時空間で、瞬間瞬間に精一杯にあるがままに生きよう」 とする本質の自分(being)に還るようにしてきました。
無条件に愛すること
無条件に喜ぶこと
平和な心を感じること
それが生きるエネルギーの源になって
一つ一つの行動ができる
そうやって
あるがままの等身大の自分を認めながら
今を精一杯に生きていれば
周りを見て「ずるい」なんて思わない
罪悪感なく行動するためにも
いつも自分の中心の愛に根ざして
生きていたい

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