人間は不完全だからこそ、「どうやって愛そうか」と最善をつくせる
- naoko-takemoto
- 2018年6月16日
- 読了時間: 2分
やさしくて
しかも、しっかりとしたお母さんをみると
無意識に
“すごいなぁ……すてきだなぁ……羨ましいなぁ”
という想いがわいてきて
自分のダメさ加減と比較していました。
わたしのような母親じゃ
子どもが可哀想だ……
と思っていました。
人間である以上は
神様のように完全ではないのだから
自分の中のネガティブを完全になくせないのは
仕方がない。
不完全な自分をゆるすしかない。
あきらめるしかない。
そんなふうに思っていました。
子どもの時からずっと
「完全」 に憧れていたんです。
だけど
「完璧で、すばらしい自分」 じゃなくても
「等身大の自分」 をあるがままに
丸ごと受け入れられるようになったとき
「不完全な人間を生きるって、最高の体験だ」
と感じられるようになりました。
夫と出会ったこと
長男が生まれたこと
次男が生まれたこと
東京から和歌山の山里に移住したこと
たくさんの大きく変わる時期を体験するなかで
「多種多様の不完全な自分や相手や状況をあるがままに受容して生きることが、人生を楽しむ上で欠かせない」 と痛感できました。
今のすべてをよろこび
今をまるごと楽しむには
不完全を否定しないことが大事なんですね。
「自分が不完全だ」ということが
どうしてわかるのか?
といえば
わたしたち人間の本質は完全だから
もともと完全をしっているからなのです。
不完全のなかに存在している
無限の可能性を信頼して
一歩一歩 精進していきます。

人間は不完全だからこそ
「どうやって愛そうか」 と
最善をつくせる
☆.。.:*・☆.。.:*・
書の写真は
和歌山の古民家の庭
で撮影した2歳の次男です。
山里に移住した blog を書いています。
どうぞ観に来てくださいねヽ(*´∀`)ノ
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