愛というものは 憎しみをも吸収することができる
- naoko-takemoto
- 2017年7月3日
- 読了時間: 2分
愛と憎しみについて書かれた
OSHOのご文章を引用いたします
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愛してごらん
ただし, 私は
愛するだけでたちまち憎しみが消え失せるなどとは言っていない
そうじゃない
憎しみは闘いを挑むだろう
誰だって生きのびたい
憎しみはあがくだろう
愛すれば愛するほど
なおさら強く憎しみはやって来るだろう
だが, あなたはびっくりするに違いない
憎しみは来てはまた去って行く
それは愛を殺しはしない
むしろ, それは愛を一層強くする
なぜならば
愛というものは憎しみをも吸収することができるからだ
もしある人を愛したら
ある瞬間には憎しみもあり得る
しかし, それが愛を破壊することはない
むしろ, それは愛に豊かさを与えてくれる
出典:

もしも
心のなかに
憎しみが湧き上がってきたとしても
憎しみを消そうとして抑えこんだりせずに
自分の心が今
憎しみを感じていることを
受容していればいい……
そんなことを自分に許してしまって
だいじょうぶなんだろうか?
いや
むしろ
こんなふうに思う自分は駄目なんだ!
と自分の一部と戦って
自分自身を裁くことが
逆に
その想いに意識を集中させて執着となり
目の前の現実に
戦いを生み出していく原因に
なってしまうこともあるだろう
一般的な人間の思考では
ネガティブな感情を持つことを
悪いことだとジャッジしている
けれども
思考を超えた次元では
「憎しみ」というものを
あるがままに受容し
「自分の全体」を
あるがままに受容することができたときに
「愛する」ということが
自然にできるようになる
というパラドックス(逆説)がある
そして
無条件に「愛する」ということを
ほんとうに体感すると
「憎しみ」というものは
あるがままに感じてあげて
執着せずに手放してしまえば
心のなかに一時的に現れた想いであって
自分のひとつのあらわれにすぎないことがわかるから
自ずと
ネガティブな感情をいだくことを
怖がったり否定しなくなってしまうことだろう
ありがとうございます
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